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5月15日 宮古の鉄橋…その後

一昨年の8月、宮古町を歩いて撮った中に鉄橋の写真があった。

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鉄橋の写真←もっと見たい方はここをクリック

この鉄橋、昨年の津波により半分以上が流されてしまった。

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この鉄橋が現在、市民文化会館の所に一部保存されている。

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「今も鉄橋に残る銃弾のあと」

 終戦近い1945(昭和20)年8月、アメリカ、イギリスの空母20隻、艦船200隻以上が金華山沖に来襲し、
釜石、山田、宮古と艦上機による波状攻撃をおこないました。
宮古地方は、9日~10日に艦上機による爆撃、機銃掃射を受け、相当の被害を受けました。
分かっているだけで10人程の方が亡くなりました。
 山田線の閉伊川の河口にかかる鉄橋もねらわれ、藤原側の橋げたが爆弾により破壊され
一時、列車が不通となりました。米軍の資料では「グラマン(F6F-5)による攻撃で、500ポンド
爆弾を命中させた」とあります。
 その時、鉄橋への機銃掃射も行われ、北側から南側へ9mmの厚さの鉄板に10数発が貫通し、
中には2枚とも貫通したあともあり、威力のすごさが伝わってきます。
穴の直径は13mmから20mmあり、グラマンのものと推定されます。
この銃弾のあとは、舟場(向町)の鉄橋下の道路からも見え、子どもたちや市民の平和学習に
活用されてきました。
 今回(2011.3.11)の東北を襲った大津波で、この鉄橋が流されました。
そこで、鉄橋の一部を切り取り、戦争の恐ろしさを訴えると貴重な戦争遺跡として
保存展示することになりました。このような、厚い鉄板を貫通した銃弾のあとは、
国内でもあまり例のないもので、貴重なものとして、大切に保存したいものです。

                                            展示されている原文のまま
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cauhey2

Author:cauhey2
趣味は多彩ですがすべてが
中途半端!
かつてNikonF2を
使っていましたが
このカメラは現役引退で
デジカメを使って
中途半端な趣味の
一部を記録していきます。

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